ちょっと遅いのですが、読み始めたらなんとまー不思議な小説です。

僕はハードボイルドや歴史小説が好きで、呼んでいる本を見るとかなり硬派なイメージです。北方謙三さんを筆頭に気骨ある主人公が描かれている小説をよく読みます。

きっと本人がクラゲのように気骨がないから、憧れるんでしょうね。

しかし、骨なしクラゲにも五分の魂はあって、矜持を持ってはいるんです。

システム開発会社を起こしたとき、決めていたのは「他社が採用しないような(要するにダメの烙印を押された)人材を採用してエンジニアに育てることでした。

いいんですよ、グーグルさんを始め、技術の最先端を切り開く役目の会社が超優秀な人材を募集する。それはそれでいいんです。

でも世の中、「優秀な人」だけで成り立ってるのか?そんなわけあるまい、っていうのが僕のスタートラインです。

ちょっと過激なことを言わせてもらえば「そこで優秀面してるお前、それがどんだけのもんなの?」と言いたい。

将棋の藤井四段のように「天才」はいる。人間に優劣はあるんです。それは事実です。しかしそういう人たちだけでこの世界が構築されているわけではない。大したことをやってるわけでもないくせにしたり顔で「優秀な人材」を欲しがる会社の気が知れない。

本当に優秀な方が、「あいつは使えない」とか発言してるの聞いたことあります?だいたい皆さん謙虚です。

今やっている塾も立脚点は同じです。「出来ない人などいない」というところからスタートします。

それでも100%ではない。「完璧」はないんですね。どうやっても伸びない人はいます。

ただ、その理由を「塾の力不足」と捉えるようにはしている。そうしないとこちらの実力を伸ばせません。反省して工夫をし、カリキュラムを見直し続けます。教え方、時間配分、目標点の置き方、成長度合いの測り方、モチベーションを維持させるには?自習力を養うには?人の自覚ってどうやって形成されていくの?

考える事、試すことは山ほどあって全体を見ると圧倒されてしまいますが、ひとつひとつ取り組みます。

あ、小説の話です。

西加奈子さんの小説に初めて接したのですが、その淡々とした語り口で描かれる日常、今まで読んできた小説にはないテンポの、それでいて引き込まれる要因はどこにあるのでしょう。

そもそもどうするとこんなに「人」の心理を描けるようになるんでしょうか。きっと自分もこの方と同じような努力をしなくてはいけないのだろう、と何となく考えるわけです。

「育成」に携わるにしてはあまりにも「人」が分かってないなぁ、と痛感する昨今。まだ山の麓にさえ到着していない。登山さえ始まっていない、と感じてしまいます。

ま、そういうこと抜きにして面白いです。まだ上巻の半分くらいなんですけど。