JIN Programing Academy学長のサイトーさんダゾ。

サイトーさんは近頃思います。

限られた研修期間の中で如何に生徒を高いステージへと連れて行くか。

結局、理解と体で覚えた技術が必要です。最後には。

どちらが先なのか。これは鶏と卵のようなもので、

ある程度の理解がないと正しい技術が身につかない、とも言えるし、先に体で覚えた技術に対しては深い理解が得られます。

面白い記事を見つけました。新しく何かを学ぶときに、人間には4つのタイプがあるとのこと。どこかのサイトでみつけました。

ま、大別すると

1.何故これをやるのか理解できないと動き出せないタイプ

2.数字や、目に見える目標がないと動かないタイプ

3.これからやることの全体像が見えないと動けないタイプ

4.今、何をすればよいかわかればすぐ動けるタイプ

ということになるらしい。

拙いながら、講師をしてきた感触としては、理解は出来るが人間はもう少し複合的である気がします。

すぐに動けるけど、実は内心は何故これをやるのかの理解を求めていないわけではなかったり。

片方で、人間は報酬によって動く、という意見があります。

物理的なお金であるとか、そうでなくても「成長が実感できた」ことも報酬になるそうです。いや、たしかになります。

プログラミングというのは、未経験者にとっては、最初引くものです。なにこれ。。。的な。

理解できないものだから書かされてもモチベーションが上がらない。しかし、ある程度書けるようにならないときちんとした理解が得られない、とも言えます。

この難題を如何に突破するかがスクールの腕の見せどころです。

理解できないうちに「理解出来た」という報酬は与えられない。なにか別の報酬を与える必要があります。

僕は公文式に着目した。

公文式が与えている報酬は「理解できた」ではなく「正解が増えた」「課題を全部やれた」というもので、理解は気がついたら出来ていた、が狙いなのではないかと。

今作ったプログラムの解説をしようとすると生徒はまるで自動でスイッチが入ったかのようにシャッターが降り始めます。理論の説明は眠気を誘うものなのです。

自分の経験を振り返っても同じです。小説は大好きですが、技術本は、どんな睡眠薬より優秀な睡眠誘導剤です。2ページ要りません。

しかし、そんな私でも技術書でアドレナリンが放出されるときがあります。

それは、「いついつまでに、これを作らなきゃならないが、自分にその技術が不足している、時間は残されていない」という切迫した状況下で、技術本の中に「使えるかも知れないヒント」を得られたときです。

これらを振り返ると、

1.まず、目標設定してあげること

2.いちど伴走してそこに連れて行くこと

3.次から一人でチャレンジしてもらうのだが、いきなり

  できることはないので、小テストを繰り返すこと

  小テストの繰り返しで、目標点までの理解を作り出して

  しまうこと

4.あらためて一人で山に登ってみてもらうこと。

この小テストの繰り返しが公文式の真骨頂なのではないかと思ったわけです。

ちなみに3.の小テストのフェーズでは簡単な機能追加の項目も入れます。

こんなあたりを如何に緻密に作り上げることが出来るか、他のスクールがどのようなチャレンジをしているか知りませんが、当校は今、この課題と取っ組み合いの喧嘩をしているところです。

自分があまり社会に適合できてないなぁ、何十年という会社勤め、出来るのかなぁ。。

当スクールへいらっしゃい。エンジニアになりなさい。

働き方は自分で決めるんです。

「御社に入社させてください」ではなくて「どうか弊社の仕事をしてください」と言わせなさい。一定期間、目にものもらいで学習すればそのスタート地点には立てますよ。