この子、本家より上手いのでは?

ドンヘンリーという人はドラマーというよりはソングライター、シンガーとして素晴らしく、ドラムは「やれることがやれれば良い」くらいに考えていたのではないかと思うんです。

自分に不要な技術まで追う気がない、のではないかと。

ドンヘンリーのドラミングはいかにも「腕で叩いてる」印象で、この女の子の方が、ある意味「正しい技術」で叩いてるように見えます。スナップとグリップを利かせて無駄な力を使わない。

しかし、ドンヘンリーのような方の姿勢というのもとても重要なものだと感じます。自分に必要なもの以外を追い求めたりしてない、というか。。

だいたいにおいて、私はそこらへんがダメです。

ギターを弾くにしても、プログラミングを学習するにしても、「それが本当に自分に必要なものか」なんてことを考えず、非常に無駄が多い質です。

無駄が多いというのは、それだけ肝心要のことに時間を割けていないことになります。そういう自分から見るとドンヘンリーのような人はとてもスマートに見えます。賢い。

自分がやりたいことが何か、それに必要なことが何か、を分かってるんじゃないか、或いは、そんなことすら気にしていないかも知れません。

趣味においても仕事においても性分としてそうなのだから始末に負えません。趣味はまぁいいですよ、誰に迷惑がかかるわけじゃなし、いつまで経っても自分が上達しないというだけの話です。

仕事はそうはいかない。ましてや、自分の場合は「何々をいつまでにやりなさい」というようなお達しがない場所にいます。手前で商売をしているのだから、手前次第なわけで。

それで無駄なことばかりして本筋がおろそかになるとしたら生きていく術がなくなってしまいます。この、全く金にならない忙しさはなんなんだ、と。そもそも何を本筋にするのか決まっているのか、と。

そんなことを考える最近なので、本屋へ行ってもついこんな本が目に留まります。

冒頭にあった「99%の無駄を捨て1%に集中する」という文句にドキッとしてしまいました。

こんなのもあります。

何となく似ています、主張が。やることを絞れと言っている。う~耳が痛い。痛すぎる。

さきの「エッセンシャル~」の方は、無駄なことを引き受けるなと言っている。自分の場合は、引き受けることもあるが、自分で無駄を作り出してるところも多きにあります。

本筋に沿ってたくさんのアイデアを試すのは良いでしょう。しかし、本筋だらけになってしまったら、それは本筋がないも同然です。なんとなくそんな状態に陥っていると自覚し始めたんですね。

私の友人に、ある意味、この領域の達人と言える人物がいます。何というか、遠回りがない。やりたいこと以外はやらない。徹底しています。

足るを知っている、というとどこかに「贅沢をするな」的な響きがありますが、かの人物はそこらへんが非常にフレキシブルに出来ており、あればあったなりに、無ければ無いなりに足るを知る生活が出来る摩訶不思議な生態系の人物です。

時々、あればあったなりに、から急激に無ければ無いなりに転換を迫られ、アップアップしてるときがありますが、それも時間の問題で、ちゃんと落ち着くところへ落ちつき、幸せに暮らす術を持っています。

それに引き比べ、自分の、何と迷いの多い人生なことよのぉぉ、と嘆いていても始まりません。

社の業務幅を縮小しようかな、と考えています。それと他社との連携、委託など視野に入れ、自分がやるべきことをもっと少なくしてその分深度を増したいな、と。

今の業務幅は自分一人でカバーできる広さではない。それを認めたくなかったのかも知れません。そこを認め、切り出して任せる相手がいない現状では、いったん業務幅を縮小し、更にその中でも営業など、自分が不得手な部分を委託するのも手だな、と。

生徒を大事に育てる気概と努力なら、そうそう引けを取るものではない根拠なき自信はある。いつか「奇跡の授業」のような授業を行える講師になってやると目標もある。

そのためには自分がもっと学べる環境を、自分で作り出す努力が必要なんだ、と。

この女の子のドラムを聞きながらつらつらと考えたらこんな結論に達してしまいました。「エッセンシャル~」なんてちょっと買うの恥ずかしいですよ。マンガだし。しかしなりふりかまっちゃいられないですよね。