今年に入り、「人に教える」ことに専念するようになって、以前からモヤっと心のどこかで思っていたことが鮮明になってきました。

僕自身もとても質問が下手なんです。

打ち合わせが終わり、「何かご質問は?」と聞かれ、大抵の場合、「いえ、大丈夫です。」と答えてしまいます。

浮かばないんですね。

でもそれって、説明内容を全く理解していません、と告白しているのと変わらないな、と思います。事実、理解力のある方ではないので。

逆にこちらが説明する立場で、最後に「何か聞いておきたいことありますか?」と聞いて、内容はどうあれ、何かしら質問してくる相手にはやはり一目置きます。

全くの未経験者にプログラミングを教えます。

当然、始めは「何が分からないかも分からない」状態からスタートするわけで。

しかし、段々と自力で作る時間を増やしていき、その作業を見守る時間が増えて行きます。

その時点で、どんどん質問してくる人と、こちらが様子を聞かない限り何も聞いてこない人に、まず分かれます。

そして、聞いてこない人に、「どんな感じ?」と聞くと作業は止まっていたりします。

質問するって、高度な作業なんだな、と思うこの頃。

自分は今、教える側にいるので、出来れば「質問出来ないタイプ」の子達に「質問するチカラ」を付けてあげられないものか、と考え、ちょっとネットで調べてみると、当然ながら多くの方々が「質問すること」を大変重要に考えていらっしゃることが分かります。

「質問するチカラ」も筋力と同様、鍛えれば強くなるに違いない。確信ではなく、仮説です。まずそういう立脚点に立って考えてみよう。

大前研一さんにモロの題名の著作がありますが、少し自分が考える、欲するものとは違うよう。そんな大きな視点ではなく、自分の考える質問力とは「会話力」に近いかも知れない。

で、考えたのですが、自分が説明を受けて「ご質問は?」と聞かれ、「いえ、大丈夫です。」と答えるということは、「説明を理解しました。」と言っているのと同義です。ですよね?

ところが逆の立場になって相手が「大丈夫です」と答えると不信感を持ちます。当然、自分が「大丈夫です」と答えた時は相手は自分に不信感を持つはずです。

では、どうしたら良いか。

大抵、「ご質問は?」と聞かれて、「何か質問しなくては」と考えます。しかし、同時に「今説明されたことを聞いたら、コイツ聞いてなかったなと思われる」と考えてしまい、「何か別の切り口、あるいは説明に含まれなかった何か」を聞かなくてはいけない、と無意識に考えてしまうのですね。

で、逆の立場で、もしも相手が自分が説明したことをおうむ返しで繰り返し、「この理解で合っていますか?」と聞いてきたら、私は相手を認めると思います。コイツ、いいな、と思うと思うんです。

そこまで考えると、説明する立場にいて、相手が質問しないとき、「では、今度は今のこと僕に説明してみてください」というのはありだな、と思いました。

恐らく100%説明出来るなどということはそうそうなく、どこかが抜け落ちたり、解釈が間違っていたり、という箇所が出てくるはずです。もしかしたら自然に質問が生まれるかも知れない。

自分が質問する立場ならおうむ返し。自分が説明する側で、相手に質問する力がない時はおうむ返しを促す。

いい方法だと思うんです。

もうとっくにどなたかが提唱してるかも知れませんがね。

教える立場になって、目にするもの目にするも全てが示唆に富んでいるんですね。

今日はふと目に入ったNHK教育テレビの番組に驚きました。

「奇跡の授業」だったかな。番組って遡って調べられないので確認出来ません(やり方知らないだけかも)が、本当に素晴らしい授業をする方っているんですね。

頑張りたいです。マジで。いや本気で。#質問力#おうむ返し