何十年も昔です。

ヒューレットパッカード社製のHP200LXという小型のコンピュータを持ち歩いて、プログラミングの学習をしていた時代があります。

OSはMS-DOS、そこにエディタ、Cコンパイラ、jperlというMS-DOS上で動作したperl,jgawkというMS-DOS上で動作したawk、そして、どうインストールしたか定かではないのですが、確か、Lotus1-2-3という表計算ソフトを入れていたと記憶しています。

どこでもプログラミングできた。電車の中であろうが、歩きながらであろうが、単三乾電池2本で毎日フルで使っていても1週間くらい電池が持ったと記憶しています。

私がC言語のポインタの概念を理解したのは、HP200LXでの学習によるものです。

とにかくどこでも扱えた。当時インターネットは普及していなかったので、通信に頼る部分はなく、書籍と200LXの中で完結していました。

エディタに何を使っていたか、思い出せない。おそらくVZ Editorだったろうと思います。

そうそう、FDというファイラーを使っていました。これでファイルにカーソルを合わせてリターンするとVZ Editorがそのファイルを開く、という設定にしていたと思います。

Windowsでいうところのエクスプローラのようなものですが、未だにWindowsの画面よりなじむのではないかという気がどこかでしています。三つ子の魂なんとやらで。

しかしまー、そんな昔から私は歩きスマホならぬ歩き開発をしていたわけで、きっと周囲に迷惑まき散らしていたのでしょう。

それに、今になって冷静に思うと、決して効率の良いやり方でもなかったと思います。

当時は書籍が頼りでしたから、歩きながらだと、いったん200LXをカバンなりポケットなりに収め、書籍を取り出し、該当部分を参照し、また200LXを取り出して続きを打つ、みたいな繰り返しになるので、どこかで腰を落ち着けて作業したほうがずっと早かったでしょう。

しかし、効率を考えずに思いの向くまま驀進する、という姿勢も尊いもの、という気もします。

最近、「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか」という書籍を購入しました。

元マイクロソフトの社員であった著者が、アメリカと日本とでの仕事の経験をもとに比較対照しながら、日本人の時間の使い方の下手さを指摘しています。

読みながら、確かに私も日本人の中でもかなり時間の使い方が下手な部類に入ることを実感しつつ、一方でそれは「本当に良くないことなのか?」という疑問を胸に文字を追っているところです。

ビジネスの世界においては効率を追い求める風潮はどんどんと強くなっています。

果たして、これが本当に良い事なのかどうか、判断が付きかねます。

日本人て、そもそも効率を求めるような生き方をしてきた民族なのかどうか。。

そこに本来日本人が幸せに暮らすヒントってものがあったのではないか。。

日本がこれだけ豊かであるにも関わらず、「幸せ度」において低いのは、どこか自分たちに合っていない暮らし方をしようと無理しているのではないか。。

疑問は尽きません。

自分に照らしても、やはり時間の使い方が下手で、複数のことを同時進行させることが下手で、そういうものがコンプレックスとなって「自分にない力」を求めがちです。

しかし、それが故、自分の「幸せ」を殺しているとしたら?

そもそも、自分は何がやりたいんだっけ?

自分らしいやり方を見失ってたりしない?そもそも自分らしいやり方って、なんだっけ?

完全に見失ってますね。

まず、そこなんでしょうね。。

自分が何を大切にすべきか、そこを思い出さないと、色々なこと、ものに揺さぶられることになります。

そんな目線で、この書籍と向き合ってみましょう。