とかく、エンジニアの世界では、疎まれることもある。
戦力にならない。
逆に手を取られてこちらの作業まで止まる。
この本の中でも、マイクロソフトでさえ自身で這い上がって来ない新人は溺れる以外になかったと述べている。
この業界に入った頃に、当時勤めていた会社の社長から聞いたことがある。
昔(バブルの頃かな)、各製造会社などの部長クラスは今よりもずっと大きな裁量権を持っており、自由に出来る予算枠も大きかった。らしい。
それで、複数案件を合わせて考え、全体で利益が出ればOKというような鷹揚な対応が出来、その枠を以って新人をプロジェクト内で育てる余裕があった。らしい。
しかし、バブルが弾け、予算の締め付けが厳しくなり、部長クラスも「1案件たりとも赤にしない」という姿勢が強くなり、そうなると効率を考えて新人を寄せ付けなくなった。
出来る中堅、ベテランが好まれる。特に、まだ単価がベテランほど上がらない中堅が最も好まれる。予算組みが楽になる。らしいのだ。
その動きがここ数年でまた変わってきたと感じる。
各社とも新人獲得に鵜の目鷹の目になってきて、するとその新人を訓練する私らのような役目の人間たちが忙しくなる。
しかし、「育てる」作業で伸びるのは、実は「育てる側」なのだ。間違いないと思う。つまり、「育てる作業」をたくさんした会社は「育つ」。業績が伸びるかとか、そちらは知らん。門外漢だ。
「育つ」ことは間違いない。「育てる」作業は育てられる側が育つだけではないのだ。「育てる側」が「育つ」作業なのだ。
最近、引きこもり自立支援のような施設で、どうやらヤバいことが行われていたらしく、しかも経営者は警察出身者だとニュースでやっていた。
これは決して「育てる」とは言わない。育むことを生業として生きていて、あり得る話ではない。自分が育ってないではないか。自分が育たずに他人を育めるわけがないのだ。逆に言えば、他人を育てようと努力しているなら、自分が育たないわけがない。
企業として健全に「育つ」かどうかは「新人を育てる」努力をしているか否かに、かかるのだ。間違いないと思う。苦しかろうがなんだろうが、手を取られようが何しようが、新人は育てなきゃいかんのだ。
その作業をしない限り、企業も人も、育たない。育つには育てる以外に、ない。#新人