株式会社O2.代表の齊藤保です。
長年、ソフトウェア技術者として、また開発会社経営者として、IT業界に身を置いてきました。
開発会社をM&Aにて整理し、新たに起こしたこの会社は、いわば「私の夢を詰め込んだ」会社です。
開発会社を経営してきた中で、最も情熱を燃やせたもの、それは「新人の育成」でした。
経験者は、社員からの紹介がない限り入社不可、募集はすべて未経験者のみという経営方針で、営んできました。
しかし、開発会社の宿命で、あらゆる事案やトラブルに時間を取られ、新人に十分な研修が出来たかというと忸怩たる思いを常に抱くこととなりました。
「いつか、育てることに全力で専念したい。」
この思いが、O2.の基礎になっています。
昨今、若年層へ向けてのプログラミング教育が騒がしく話題になっています。
当初、とても良いことであると好意的に受けて止めておりました。
しかし、時が経つにつれ、「これでいいのか?」という思いに問わられ始めています。
ロボットを用いた学習の有効性はある程度認めます。
しかし、猫も杓子もそれでいいのか。疑問です。
公文式では、早い子は小学生が微分積分に取り組みます。
長く、学校教育で培われた各科目の授業方法はあらゆる角度から検討され、優れた手法がいくつも確立されています。
翻ってプログラミング教育はどうでしょう。
私がプログラマとしてデビューした頃は惨憺たるものでした。
新人を育てるという土壌はなく、私は全てを独学しました。
その後も、どのようなプロジェクトに身を置いていても、新人には冷たいものでした。
新人が質問しようものなら
「お前、自分で調べたのか?」「ググれ」
そんな会話が渦巻いている状況でした。
この方式が悪いとは言いません。しかし、ここには
「それでも伸びる優秀な人間しか相手にしない」
という姿勢があります。ダメな奴は潰れろ、ということです。
先輩諸氏にこの意識があったかどうかはわかりません。
しかし、結局がこういうことになってしまいます。
そしてついて来られずに潰れる新人をあまた見てきました。
私の考えは違います。
「分からないことは、あまり粘らずに聞きなさい」
と教えます。プログラミングのように馴染みのない作業は1度くらい教えられてそうですかと、理解出来てしまう方が不思議です。
また同じ質問をすれば、
「それはすでに教えただろう。」「お前、人の話聴いてたのか。」
と突き放されるのがオチです。
私は「何回でも、何十回でも、何百回でも聞け」と教えます。
特に未経験者は、ある程度のところまでは考える時間は無駄だと私は考えています。
講師の中には、適性が見いだせない生徒には早めに
「君は向いていないからと伝える、それが優しさだから」
という意見の方も多数おられます。
ある意味、正論なのかも知れません。
しかし、私にはとてもつまらなく感じる意見です。
それは「才能ある人材しか相手にしない。」と私には聞こえます。
才能ある生徒は、極端な話、放っておいても伸びます。
講師にとってこれほど楽な仕事の仕方はありません。
そうではない、なかなか理解に時間がかかる、そんな人の方が割合として多いのです。この人々がみんなダメなのか、そんなことはない、というのが私の信念です。
そして、なかなか理解出来ないで苦しむ生徒は、講師にとって財産です。このような生徒に寄り添って壁を乗り越える道を探ることで、講師としての力量は養われると信じて疑いません。
いつまでも手取り足取りしていたら自力解決できる力が養われないと批判する方もおられます。
その危険はゼロではない。しかし、それも時期の問題です。
手取り足取りで基礎力が伴ってきてから、少しずつ突き放す、そして、「自分だけで作れた!」という喜びと充実感を体験させる。これが最も重要なことではないかと私は考えます。
これらをトータルにひとつの手法としてまとめた研修を見たことがありません。その確率のために日夜、目にモノモライで泥の中でもがいている。そんな日常です。
事業計画?成長戦略?そんなものクソくらえです。
「あんたんとこが育てた新人すごいねー!」
追いかけるのはこの一言だけです。
事業内容に音楽が入っているのはご愛敬。
13歳からギターを弾き始め、下手の横好きで今までギターと共に生きてきました。
人生も終盤に入り、ひとつの夢があります。
「プロに負けたくない」本気でそう思っているのです。
精神年齢の低さを露呈していますが、そんな思いを事業内容に記しました。そんなことですから、「私の夢を詰め込んだ会社」なのです。
もう一度言います。
事業計画?成長戦略?そういうの好きな人が考えてください。